アーゲードゲームの歴史資料

 1.日本娯楽商報 (1936年ごろの日本娯楽機製作所の総合目録、pdfファイル

 日本のAM業界の先駆者、指導者として巨大な足跡を残した日本娯楽機鰍フ創業社長、遠藤嘉一氏(1899−2001)は岐阜県揖斐郡養基村生まれ、1922年に大阪で医療器具販売の遠藤商店を創業、23年に初めて自動販売機を組み立て成功した。販売するのは衛生器具からキャラメルなどの菓子類、飲料水などだった。その後、宝塚新温泉(後の宝塚ファミリーランド)へ神社形式のおみくじ機を納入したことがきっかけとなって、アミューズメントマシンの開発を本格化し、日本自動機娯楽機製作所と改称した。1931年開業の浅草松屋の屋上・屋内遊戯場「スポーツランド」で設置・運営を担当することになり、東京・浅草に日本娯楽機製作所を設立した。浅草松屋スポーツランドは、当時のあらゆるアミューズメントマシンを集めた最先端のロケーションとなった。戦後の1947年に日本娯楽機株式会社となり、デパート屋上遊園地のオペレーター会社として現存している。

 遠藤嘉一氏は戦後も、私財を投げ打ってAM機にかかる物品税撤廃を勝ち取るなど、業界の発展に尽くした。また1979年まで全日本遊園協会(JAA)の会長を務めた。

 「日本娯楽商報」には、表紙裏(2頁目)に納品先のロケーションリストがあるほか、日本娯楽機製作所が開発・製造したか、または取扱った製品が掲載されている(3−14頁)。バッテリーカー(3頁)、シューティングゲーム(4頁)、自動販売機(5頁)、力試し機(6頁)、腕相撲とパンチングバック(7頁)、各種自動販売機ほか(8−9頁)、ピンボールゲーム機(10−11頁)、おみくじ機ほか(12−13頁)、電気ボート(14頁)のうち、神社形式のおみくじ機など各種自動販売機と、「歩行象」などのバッテリーカーや、シューティングゲームのデザインはオリジナルであることが知られている。しかしピンボールゲーム機などは、米国製品を真似て、半田付けで製作されたと言われている。連続写真を見る機械の「ミュートスコープ」は「マトスコープ」となっているし、7頁左下の「ロバ鳴かせ」の原型は明らかに1929年米国エキジビット社製と推測される。